こんにちは。
「ちりとてちん」を最後に、NHK朝ドラはさっぱり観なくなったぼくですが、今季の「ゲゲゲ」は久しぶりに面白くて毎日観てます^^。水木しげる、ということがきっかけになるんだけど、ドラマ的にもよくできてますね。俳優は豪華すぎるし。
ところで、恐怖と題したのは、ホラー映画好きのぼくがちと恐怖を「仕分け」してみました。某与党のアフォーマンスではありませんよ^^
映画あるいは小説でも何でも良いですが、メディアを通して観たときに感じる恐怖の酒類、いや種類はざくっとわけて2つしかないです。
・未知の存在に遭遇する恐怖
・既知の存在に遭遇する恐怖
前者は、想定し得ない存在から過酷な攻撃を受ける恐怖です。ジャンル的にはホラーじゃないですが、映画ならエイリアンとかジョーズ。小説だと個人的に怖かったビーグル号かな?
ですが、「未知」の存在に対する恐怖は実はたいしたことがないのです。
一番怖いのは後者の既知の存在に遭遇する恐怖です。
これには種類がさまざまで、観る側の個体によっても異なります。当然ですね。既知、というのは、それぞれの人間によって異なるわけですから。
例えばエクソシストやヘルハウスなどのオカルトは、日本人は全然怖くありませんが、キリスト教国の人間には相当こたえたようです。宗教的に既知の畏怖の存在だからです。
別の形として、前に日記に書いたように最近、三池さんの「ぼっけえ~」を観ましたが、あれも同じ。拷問シーンが取り沙汰されていますが、そんなものはホラーものに慣れている人間には全然平気です。怖くて震えたのは、これ以下はない貧民街で堕胎児をゴミのように川に捨てるシーンです。そういう世界は自分の目では観ていませんが、時代背景からしてあれは絶対にあったはずだし、程度は異なるにしてもロッカーやトイレに捨てたり今もあるじゃないですか。だから震えるほど怖い。既知の恐怖です。
ホラーの傑作とぼくも思う「悪魔のいけにえ」。リメイクでテキサスチェーンソー、ですが、あれはどうかというと、やはり既知の恐怖です。実際の事件をモデルにしているだけでなく、治安が行き届かない広大な大地での田舎が怖いのは心理的にわかりますよね。この手の犯罪は日本でも起きています。だから怖い。銃とかは怖くない。クワとかノコゴリとか包丁だから怖いのです。近くにありますからね。
賛否両論のホステルはどうでしょう?ぼくは、タランティーノの一作目の「ホステル」はよくできてると思います。確かに中盤までダラダラしているのですが伏線がありますし、中盤からクライマックスまでの恐怖はすさまじい。というか痛い。。。^^;これも既知の恐怖ですね。東欧を貶めているわけでもなんでもなく、中国でもオーストラリアでもそうですが、失踪した観光客は大勢います。こういう組織があるかどうかは別として、異国の地にのほほんと踏み込んだときに大いに遭遇しそうです。そこが怖い。
先ほども言いましたが、既知とはひとそれぞれで違うので、何も知らないし、疑ってもいない人が見ると、ホステルあたりはただのスプラッターに見えるかもしれません。ですが、失踪した観光客が大勢いることやあれこれ噂も含めて知っている人間がこういう映画を観ると、がたがた震えるほど怖いわけです。
で、結論はというと、恐怖を与えるという意味では、未知の存在は既知に遠く及びません。
知っているということ、そのものが、恐怖を生む、ああ、知らなかった方が幸せだった。。。
まあそんな感じでしょうか^^
2010年5月23日日曜日
2010年5月5日水曜日
書物の形
こんにちは。
急に夏が来たみたいな気候ですね。でもGW開けたら大阪は気温が下がるらしく、調整が厄介な季節です。
GWはどうしてましたか?ぼくは出不精なので多くの時間をツンドク状態の本を読んだり、同じくツンミル?状態のDVD鑑賞に費やしました。おたくですねえ。。。
書棚を漁っていると懐かしい本が出てきます。ピンチョンのは比較的最近買ったので別として、後は古いものばかり。

でも昔の本は装丁も紙の質も良いので、箱が少し傷んでいる程度で中身は何の問題もないです。見ていて美しいと思いませんか?特にボオドレエル全集などは、写真ではわかりにくいのですが、ワインレッドのまるで聖書のような材質の装丁でして、見ているだけで幻想的な世界にひきこまれそうになるくらい素晴らしい出来です。
前にも書いたかもしれませんが、本は単に活字だけじゃなくて、装丁も含めて本だと思っています。要するに書物ですね。最近ではリンクを使用したハイパーフィクションという形も登場していますが、古文書の類からこのような単行本、文庫本など書物には様々な形が存在します。その形を含めて本だと思うのです。ですから、できれば最初に世に出てきた形を手に入れたい、つまり単行本で出てきたのなら初版、古いものであればあるほど最初に発行されたものを読みたい。
まあ予算的なものがありますから、程度問題ですが、何でも文庫本で済ませてしまうのはもったいないと思います。古典ならネットで読める時代になっていますが、これはぼくからみると論外かな・・・。
美しい本は、その存在自体がひとつのアートです。今は何事も効率と合理性が優先する時代になってしまったのが残念ですが、アートとしてこだわりを持って世に送り出されたかつての本は古本屋で手に入ります。お気に入りの本があれば、ぜひ初版に近いものを手に入れて見てください。
さあ、明日からまた仕事だ。。。。
急に夏が来たみたいな気候ですね。でもGW開けたら大阪は気温が下がるらしく、調整が厄介な季節です。
GWはどうしてましたか?ぼくは出不精なので多くの時間をツンドク状態の本を読んだり、同じくツンミル?状態のDVD鑑賞に費やしました。おたくですねえ。。。
書棚を漁っていると懐かしい本が出てきます。ピンチョンのは比較的最近買ったので別として、後は古いものばかり。

でも昔の本は装丁も紙の質も良いので、箱が少し傷んでいる程度で中身は何の問題もないです。見ていて美しいと思いませんか?特にボオドレエル全集などは、写真ではわかりにくいのですが、ワインレッドのまるで聖書のような材質の装丁でして、見ているだけで幻想的な世界にひきこまれそうになるくらい素晴らしい出来です。
前にも書いたかもしれませんが、本は単に活字だけじゃなくて、装丁も含めて本だと思っています。要するに書物ですね。最近ではリンクを使用したハイパーフィクションという形も登場していますが、古文書の類からこのような単行本、文庫本など書物には様々な形が存在します。その形を含めて本だと思うのです。ですから、できれば最初に世に出てきた形を手に入れたい、つまり単行本で出てきたのなら初版、古いものであればあるほど最初に発行されたものを読みたい。
まあ予算的なものがありますから、程度問題ですが、何でも文庫本で済ませてしまうのはもったいないと思います。古典ならネットで読める時代になっていますが、これはぼくからみると論外かな・・・。
美しい本は、その存在自体がひとつのアートです。今は何事も効率と合理性が優先する時代になってしまったのが残念ですが、アートとしてこだわりを持って世に送り出されたかつての本は古本屋で手に入ります。お気に入りの本があれば、ぜひ初版に近いものを手に入れて見てください。
さあ、明日からまた仕事だ。。。。
2010年3月16日火曜日
DOLLS
こんにちは。
北野武さんが、フランスで文化勲章もらいましたねー。すごいことだと思います。
北野監督の映画は全部観ていますが、もともとカンヌやベルリンなど大作ではなく佳作が集まるヨーロッパの映画祭で評価の高いひとですが、ここまでとは思いませんでした。
ぼく個人の体験から言いますと映画文化は、~70年代にハリウッド、フランス、日本の映画。フランスと日本が低迷した80年~90年代はハリウッド一色。90年代後半からハリウッドが大作商業主義に走りすぎて品質が低下する一方で、日本や欧州の映画が復活。
今現在、ぼくが観ておもしろいと思うのは日本映画や欧州の映画で、ハリウッド映画は一部を除いて実につまらないです。ちなみに中国と韓国の映画は好きではありません。脚本は良いものもあるんですが、うまくいえないけど映像が自分には合わないんですよね。。当然韓流ブームとは無縁の存在です^^;
話がそれました。
北野さんの映画は、ジャンルがバラバラなのでひとによって好みがあるでしょうが、ぼくが一番好きなのは「DOLLS」です。意外でしょう?(笑)彼の映画の中では評価があまり高くない作品ですからね。でも、ぼくはあの淡々と流れる時間が大好きなんです。「ブラザー」のように過激なものも好きですが、ひとつ観たいと言うなら「DOLLS」になるんですね。菅野美穂さんは好きな女優さんなのですが、最近は働く女的にイメージが固定し始めていて、善玉から悪役、化け物までやっちゃうという変幻自在だったこの頃のほうが好きなのです。共演の西島くんも良い雰囲気ですしね。
この作品、無冠で終わりましたし、カンヌでも賛否両論まっぷたつでしたが、北野映画らしいなと。
三池さんの記事でも書いたかもしれませんが、評価がわかれる作風のほうがぼくは好きなんです。
逆に多数が傑作!というような作風はあまり・・・・
あまのじゃくなだけか...^^;
北野武さんが、フランスで文化勲章もらいましたねー。すごいことだと思います。
北野監督の映画は全部観ていますが、もともとカンヌやベルリンなど大作ではなく佳作が集まるヨーロッパの映画祭で評価の高いひとですが、ここまでとは思いませんでした。
ぼく個人の体験から言いますと映画文化は、~70年代にハリウッド、フランス、日本の映画。フランスと日本が低迷した80年~90年代はハリウッド一色。90年代後半からハリウッドが大作商業主義に走りすぎて品質が低下する一方で、日本や欧州の映画が復活。
今現在、ぼくが観ておもしろいと思うのは日本映画や欧州の映画で、ハリウッド映画は一部を除いて実につまらないです。ちなみに中国と韓国の映画は好きではありません。脚本は良いものもあるんですが、うまくいえないけど映像が自分には合わないんですよね。。当然韓流ブームとは無縁の存在です^^;
話がそれました。
北野さんの映画は、ジャンルがバラバラなのでひとによって好みがあるでしょうが、ぼくが一番好きなのは「DOLLS」です。意外でしょう?(笑)彼の映画の中では評価があまり高くない作品ですからね。でも、ぼくはあの淡々と流れる時間が大好きなんです。「ブラザー」のように過激なものも好きですが、ひとつ観たいと言うなら「DOLLS」になるんですね。菅野美穂さんは好きな女優さんなのですが、最近は働く女的にイメージが固定し始めていて、善玉から悪役、化け物までやっちゃうという変幻自在だったこの頃のほうが好きなのです。共演の西島くんも良い雰囲気ですしね。
この作品、無冠で終わりましたし、カンヌでも賛否両論まっぷたつでしたが、北野映画らしいなと。
三池さんの記事でも書いたかもしれませんが、評価がわかれる作風のほうがぼくは好きなんです。
逆に多数が傑作!というような作風はあまり・・・・
あまのじゃくなだけか...^^;
2010年3月11日木曜日
子供の頃に読んだ本
こんにちは。
ぼくは機械類は使い捨てるけど、本とレコード(LP)は捨てない主義でして^^;、そのために本棚などの収納で床が抜けそうになってます。。。でも良いこともありまして、古いLPをたまに聞いたり、昔読んだ本を読み返したり、あれ?これ読んでないや・・・みたいないつのまにか長期ツンドク状態の本を見つけて読んでみたり、そういえばたまに同じ本が重複してるのを見つけてあきれたりします。
なかでも楽しいのは、子供の頃に読んだ本を読み返すことです。
誰にでも一番本を読んだ時期というのがあると思うんですが、僕の場合は小学校高学年から大学生低学年(そんな言葉あるんか。。)までの10年くらいですかね。小学生~中学生の頃はいわゆる鍵っ子で外で遊ぶことも多かったけれど病気がちだったこともあって文庫本を読むか、ギターの練習をしてることが多かったです。高校の頃は読書の鬼状態で、一日に2冊くらい読んでました。カラマゾフの兄弟は2日くらいで読んじゃいましたからね・・・今だと1年かかるかも。。。(・∀・)
前置き長い・・・悪い癖です。。昨日小学生の頃に読んでからずっと好きだったワイルドの『幸福な王子』という童話集を読み返しました。もう紙がかびくさい感じなんですが^^;、数年に一度読み返したりする本で、そのたびにボロボロ泣くんですが、昨日もやはりボロボロと。。。TT ある意味、子供の頃の感性が今もあるのか、試しているんですね。今は世間ずれして、物事を斜めに見る癖が付いてますから^^;、子供の頃と同じように感動できるのか?というテストみたいなもんです。どうやらまだ合格のようです^^
ワイルドに限らず、童話というのは残酷でシニカルなものなんですが、ワイルドのは特に。「幸福な王子」という話も好きですが、一番好きなのは「ナイチンゲールとばらの花」です。ナイチンゲールが命を捧げて送った赤いバラが最後にどぶに捨てられ荷車の車輪に轢かれるところを読むともう涙がボロボロと。。。形而上学の世界に戻っていく頭でっかちでバカすぎる人間どもに思わず怒鳴りたくなるような衝動に駆られるのは、初めて読んだ小学生の頃もそうでした。
うん、まだ子供の心は失っていないぞ!
(ていうかまだ精神的に子供なのか?w)
おし、次はシートン動物記を読んでみよう!(w
ぼくは機械類は使い捨てるけど、本とレコード(LP)は捨てない主義でして^^;、そのために本棚などの収納で床が抜けそうになってます。。。でも良いこともありまして、古いLPをたまに聞いたり、昔読んだ本を読み返したり、あれ?これ読んでないや・・・みたいないつのまにか長期ツンドク状態の本を見つけて読んでみたり、そういえばたまに同じ本が重複してるのを見つけてあきれたりします。
なかでも楽しいのは、子供の頃に読んだ本を読み返すことです。
誰にでも一番本を読んだ時期というのがあると思うんですが、僕の場合は小学校高学年から大学生低学年(そんな言葉あるんか。。)までの10年くらいですかね。小学生~中学生の頃はいわゆる鍵っ子で外で遊ぶことも多かったけれど病気がちだったこともあって文庫本を読むか、ギターの練習をしてることが多かったです。高校の頃は読書の鬼状態で、一日に2冊くらい読んでました。カラマゾフの兄弟は2日くらいで読んじゃいましたからね・・・今だと1年かかるかも。。。(・∀・)
前置き長い・・・悪い癖です。。昨日小学生の頃に読んでからずっと好きだったワイルドの『幸福な王子』という童話集を読み返しました。もう紙がかびくさい感じなんですが^^;、数年に一度読み返したりする本で、そのたびにボロボロ泣くんですが、昨日もやはりボロボロと。。。TT ある意味、子供の頃の感性が今もあるのか、試しているんですね。今は世間ずれして、物事を斜めに見る癖が付いてますから^^;、子供の頃と同じように感動できるのか?というテストみたいなもんです。どうやらまだ合格のようです^^
ワイルドに限らず、童話というのは残酷でシニカルなものなんですが、ワイルドのは特に。「幸福な王子」という話も好きですが、一番好きなのは「ナイチンゲールとばらの花」です。ナイチンゲールが命を捧げて送った赤いバラが最後にどぶに捨てられ荷車の車輪に轢かれるところを読むともう涙がボロボロと。。。形而上学の世界に戻っていく頭でっかちでバカすぎる人間どもに思わず怒鳴りたくなるような衝動に駆られるのは、初めて読んだ小学生の頃もそうでした。
うん、まだ子供の心は失っていないぞ!
(ていうかまだ精神的に子供なのか?w)
おし、次はシートン動物記を読んでみよう!(w
2010年1月31日日曜日
風邪だから哲学
こんにちは。
1月も終わろうとしていますが、散々な出足でした。。。とにかくずーっと風邪をひいております^^;
あまり風邪を引かない人間なのですが、いったんひくとなかなか治らないというパターンが多く、特段無理をしているわけでもないのに肺炎の手前までいっていたりします。今回はそこまでいきませんが、治りかけてはぶりかえすという悪循環で未だに完治しておりませぬ。
そのせいかどうかわかりませんが、SLも大航海もバーチャルワールドにインする気力がまったく沸いてこない現状。この2週間ほどは、暇がありますとDVD観たり読書したりして過ごしています。
で、表題ですが、このように体力も気力もイマイチで、モチベが下がっているダウナー状態のときは、哲学関係の本を読むのがいいですよ、という話^^; 小説とか詩を読むのはパワーいりますから。その点、哲学の本は淡々と論理的に書かれていますので意外と疲れないのであります。それにそもそも哲学というものは、様々なアプローチがあるものの、「存在」、「ある」、「いる」ということはどういうことなのか?本当にある(いる)のか?という問いかけに対してあれやこれやと考えるものですから、ダウナー状態には適しています。逆にハイなときに読むジャンルじゃありませんね。。また、ネットとかバーチャルワールドとかとリアルを行き来するようになった現代人にとって、「存在」について考えてみることは、ネットがなかった昔とはまた異なる意味があるように思います。
例えばセカンドライフを例にとりますと、ログインしているとき僕Wacky Piekは確かにセカンドライフのワールドの中に存在します。少なくとも僕自身はそう感じています。逆にログインしなければ存在しない、そう感じています。リアルと違って存在と非存在のスイッチがあるわけです。でも本当にログインしていないとき僕は存在しないのか?またその逆は?というと難しいのです。たとえ1週間ログインしていなくても、僕の土地や家やペットはワールドの中に存在しています。存在の手がかりが残っているわけです。また僕がよく行く店の方々や友達の記憶にもWacky Piekは存在しています。必ずしもスイッチでオンオフできるわけじゃないのですね。一方、Wacky Piekの存在は、リアル同様とても曖昧でもあります。僕自身が感知するWackyはひとつなのですが、他者にとってのWackyはひとつではありません。モニターやマシンスペックによって見え方が千差万別だからです。リアルにおいて一本のペンが万人にとってひとつではないことと同じですね。
何を言っているかよくわからなくなってきましたが(笑)、存在について考える=哲学、とした場合、バーチャルワールドにおける存在を考えながら哲学してみると非常におもしろい、そういうことなんです。ネット社会はとても哲学的なんだなと感じたりします。
ちなみにお気に入りの哲学者もいませんし、ちゃんと勉強したわけでもないので、さまざまなアプローチを理解しているかどうか甚だ怪しいです。ただ、下手な小説よむくらいなら、哲学書のほうがおもしろいと僕は思います。食わず嫌いのひとは、有名な木田元さんの著書でも読んでみるとわかりやすいしおもしろいのでおすすめです。ハイデガーが専門ですが、入門書みたいなものをたくさん書かれているので是非一読を^^
あー、風邪はやくなおらんかな。。。。><
1月も終わろうとしていますが、散々な出足でした。。。とにかくずーっと風邪をひいております^^;
あまり風邪を引かない人間なのですが、いったんひくとなかなか治らないというパターンが多く、特段無理をしているわけでもないのに肺炎の手前までいっていたりします。今回はそこまでいきませんが、治りかけてはぶりかえすという悪循環で未だに完治しておりませぬ。
そのせいかどうかわかりませんが、SLも大航海もバーチャルワールドにインする気力がまったく沸いてこない現状。この2週間ほどは、暇がありますとDVD観たり読書したりして過ごしています。
で、表題ですが、このように体力も気力もイマイチで、モチベが下がっているダウナー状態のときは、哲学関係の本を読むのがいいですよ、という話^^; 小説とか詩を読むのはパワーいりますから。その点、哲学の本は淡々と論理的に書かれていますので意外と疲れないのであります。それにそもそも哲学というものは、様々なアプローチがあるものの、「存在」、「ある」、「いる」ということはどういうことなのか?本当にある(いる)のか?という問いかけに対してあれやこれやと考えるものですから、ダウナー状態には適しています。逆にハイなときに読むジャンルじゃありませんね。。また、ネットとかバーチャルワールドとかとリアルを行き来するようになった現代人にとって、「存在」について考えてみることは、ネットがなかった昔とはまた異なる意味があるように思います。
例えばセカンドライフを例にとりますと、ログインしているとき僕Wacky Piekは確かにセカンドライフのワールドの中に存在します。少なくとも僕自身はそう感じています。逆にログインしなければ存在しない、そう感じています。リアルと違って存在と非存在のスイッチがあるわけです。でも本当にログインしていないとき僕は存在しないのか?またその逆は?というと難しいのです。たとえ1週間ログインしていなくても、僕の土地や家やペットはワールドの中に存在しています。存在の手がかりが残っているわけです。また僕がよく行く店の方々や友達の記憶にもWacky Piekは存在しています。必ずしもスイッチでオンオフできるわけじゃないのですね。一方、Wacky Piekの存在は、リアル同様とても曖昧でもあります。僕自身が感知するWackyはひとつなのですが、他者にとってのWackyはひとつではありません。モニターやマシンスペックによって見え方が千差万別だからです。リアルにおいて一本のペンが万人にとってひとつではないことと同じですね。
何を言っているかよくわからなくなってきましたが(笑)、存在について考える=哲学、とした場合、バーチャルワールドにおける存在を考えながら哲学してみると非常におもしろい、そういうことなんです。ネット社会はとても哲学的なんだなと感じたりします。
ちなみにお気に入りの哲学者もいませんし、ちゃんと勉強したわけでもないので、さまざまなアプローチを理解しているかどうか甚だ怪しいです。ただ、下手な小説よむくらいなら、哲学書のほうがおもしろいと僕は思います。食わず嫌いのひとは、有名な木田元さんの著書でも読んでみるとわかりやすいしおもしろいのでおすすめです。ハイデガーが専門ですが、入門書みたいなものをたくさん書かれているので是非一読を^^
あー、風邪はやくなおらんかな。。。。><
2009年12月10日木曜日
小説家の書簡
こんにちは。
以前の日記で、ぼくが文学少年で「あった」こと(今は違う?^^)、純文学、SF、ミステリなんでも読みますが、純文学においては明治大正昭和初期の近代文学が好きであることなど書きました。芥川龍之介、夏目漱石、正岡子規、梶井基次郎などについては全集を保有していますが(大好きな三島由紀夫はボリュームありすぎて買えない。。。)、全集の最大の楽しみが付録の書簡です。作品そのものは文庫本で読んだほうが読みやすいし傷みを気にせずにすみますしね。でもほとんどの場合全集にしかプライベートの書簡は全集にしか収録されていません。この文豪と友人(たいていは相手も同じ世界)との書簡が何とも味わい深く、書簡があたかも作品であるかのような気さえしてくるのです。ここが、現代文学の作家ととてもおおざっぱだけれども旧制帝大以前の作家との違いだと個人的に思っています。
というのは、当時の文学者からは、手紙のやりとりでさえ、俳句を添えたり、季節を巧みに描いてみたり、自分の日常を叙情あふれる筆致で語ってみたりと、現代のように用件さえ伝えれば良いというスタンスとはほど遠く、至極丁寧に仕上げており、そこに文学者たちの美意識を大いに感じるからです。ましてやネットの時代になってEメールやメッセンジャー、TV会議が諸連絡の中心となった今では、書簡そのものが消えゆく運命にあるわけで、美的価値観を感じないのも無理はありません。
有名な正岡子規と夏目漱石のやりとりなどは、ひとつの芸術とさえいえるのではないでしょうか。決して安くはない文学全集を保有するひとと、作品を文庫で読めばいいじゃないかという人の違いは、この書簡に興味を示すかどうかにあるとぼくは考えています。
漱石や鴎外など、かつての文豪たちの作品が好きだけど、全集は高くてちょっと・・・という方がいたら、いえいえ、古本屋を探せば十分に安いものがありますので是非!と言いたいですね、今はネットで探して電話で注文できる時代ですので、試してほしいなと思ったりします。
書簡も作品。そんな気がします。
以前の日記で、ぼくが文学少年で「あった」こと(今は違う?^^)、純文学、SF、ミステリなんでも読みますが、純文学においては明治大正昭和初期の近代文学が好きであることなど書きました。芥川龍之介、夏目漱石、正岡子規、梶井基次郎などについては全集を保有していますが(大好きな三島由紀夫はボリュームありすぎて買えない。。。)、全集の最大の楽しみが付録の書簡です。作品そのものは文庫本で読んだほうが読みやすいし傷みを気にせずにすみますしね。でもほとんどの場合全集にしかプライベートの書簡は全集にしか収録されていません。この文豪と友人(たいていは相手も同じ世界)との書簡が何とも味わい深く、書簡があたかも作品であるかのような気さえしてくるのです。ここが、現代文学の作家ととてもおおざっぱだけれども旧制帝大以前の作家との違いだと個人的に思っています。
というのは、当時の文学者からは、手紙のやりとりでさえ、俳句を添えたり、季節を巧みに描いてみたり、自分の日常を叙情あふれる筆致で語ってみたりと、現代のように用件さえ伝えれば良いというスタンスとはほど遠く、至極丁寧に仕上げており、そこに文学者たちの美意識を大いに感じるからです。ましてやネットの時代になってEメールやメッセンジャー、TV会議が諸連絡の中心となった今では、書簡そのものが消えゆく運命にあるわけで、美的価値観を感じないのも無理はありません。
有名な正岡子規と夏目漱石のやりとりなどは、ひとつの芸術とさえいえるのではないでしょうか。決して安くはない文学全集を保有するひとと、作品を文庫で読めばいいじゃないかという人の違いは、この書簡に興味を示すかどうかにあるとぼくは考えています。
漱石や鴎外など、かつての文豪たちの作品が好きだけど、全集は高くてちょっと・・・という方がいたら、いえいえ、古本屋を探せば十分に安いものがありますので是非!と言いたいですね、今はネットで探して電話で注文できる時代ですので、試してほしいなと思ったりします。
書簡も作品。そんな気がします。
2009年10月21日水曜日
レミゼラブルで英語の勉強
こんにちは。
突然ですが、「レミゼラブル」の前半の〆「One Day More」から。
コゼットが子供であることをのぞけば、出演者ほぼ総動員のこの曲で前半の幕が閉じます。それぞれ皆運命を背負っているわけで、それぞれの想いで「One Day More!」と叫んでいるわけです。
このミュージカルは初めてNYに出張したときにブロードウェイで観てはまりました。それまではキャッツとか42ストリートとか、歌って踊るというイメージだったミュージカルが「レミゼラブル」から、凝ったセットと演技と台詞、3時間におよぶドラマチックな展開など、オペラっぽいスペクタクルミュージカルが出始めたのですね。もうひとつのメガヒット「オペラ座の怪人」とともに、各地で観ました。NY,ロンドン、シカゴ、日本。初めて観たこともあってブロードウェイが一番印象に残ってるかな?たぶんNYだけでも5回くらい観たかも^^;「オペラ座の怪人」もはまりましたねー。歌姫、サラ・ブライトマンが一躍スターダムにのぼった作品ですが、実際に観て聞いたときは震えるほどすごかったです。
えとそれでついでなんですが、この手のドラマチックなミュージカルのCDを聞くと英語の勉強になりますよーという話。歌なので楽しんで聞けます。歌だけど台詞なので聞き取りやすいです。映画とちがって台詞は文法的に正確な英語なのでやはり聞き取りやすいです(発音も)。例えば、レミゼラブルのなかで好きな曲のひとつ、Dream I dream。
聞き取れますよねー(これは字幕つきだけどw)。最後のこのくだりが切なくて好きです。
But there are the dreams that cannot be
there are the storms that cannot weather
~
My life killed a dream I dreamed.
コゼットの母親です(コゼットを残して病死)。切ないなあ。。。
※原作であるユゴーのレミゼラブルは長いけど若い頃に読んで感動した覚えがあります。「ああ無情」とかいう題名だったこともありますが、実際には登場人物は情のあるひとばかりで本当に悪い人間はいないのですよね・・・だから無情なのかな?
突然ですが、「レミゼラブル」の前半の〆「One Day More」から。
コゼットが子供であることをのぞけば、出演者ほぼ総動員のこの曲で前半の幕が閉じます。それぞれ皆運命を背負っているわけで、それぞれの想いで「One Day More!」と叫んでいるわけです。
このミュージカルは初めてNYに出張したときにブロードウェイで観てはまりました。それまではキャッツとか42ストリートとか、歌って踊るというイメージだったミュージカルが「レミゼラブル」から、凝ったセットと演技と台詞、3時間におよぶドラマチックな展開など、オペラっぽいスペクタクルミュージカルが出始めたのですね。もうひとつのメガヒット「オペラ座の怪人」とともに、各地で観ました。NY,ロンドン、シカゴ、日本。初めて観たこともあってブロードウェイが一番印象に残ってるかな?たぶんNYだけでも5回くらい観たかも^^;「オペラ座の怪人」もはまりましたねー。歌姫、サラ・ブライトマンが一躍スターダムにのぼった作品ですが、実際に観て聞いたときは震えるほどすごかったです。
えとそれでついでなんですが、この手のドラマチックなミュージカルのCDを聞くと英語の勉強になりますよーという話。歌なので楽しんで聞けます。歌だけど台詞なので聞き取りやすいです。映画とちがって台詞は文法的に正確な英語なのでやはり聞き取りやすいです(発音も)。例えば、レミゼラブルのなかで好きな曲のひとつ、Dream I dream。
聞き取れますよねー(これは字幕つきだけどw)。最後のこのくだりが切なくて好きです。
But there are the dreams that cannot be
there are the storms that cannot weather
~
My life killed a dream I dreamed.
コゼットの母親です(コゼットを残して病死)。切ないなあ。。。
※原作であるユゴーのレミゼラブルは長いけど若い頃に読んで感動した覚えがあります。「ああ無情」とかいう題名だったこともありますが、実際には登場人物は情のあるひとばかりで本当に悪い人間はいないのですよね・・・だから無情なのかな?
2009年9月30日水曜日
わしの愛する小説家たち
こんにちは。
出版不況といわれて久しい日本ですが、ほんとみんな本を読まなくなりましたねー。ミステリーや時代小説あたりで一部の超人気作家の作品が売れるくらいでしょうか。。。純文学はとても苦しい状況のようです。特に名作とよばれる近世の文学を知らないひとたちが増えたように思います。
かくいうわしも、今のように電脳世界が驚異的に進歩した時代に幼少時代を過ごしていれば本は読んでないかもしれませんが、幸せなことにわしの少年期にはネットだの電脳だのはSFの世界でしたので、読書と音楽が一人でできる限られた娯楽なのでありました。なので和洋問わず、名作と呼ばれる文学はほとんど読破しております。そんなわしが好きな作家について語ってみたいと思うコーナー(w)です。
まずは芥川龍之介・・・師匠です(w 全集を二度買い換えました^^; わしはどちらかというと長編よりも短編小説が好きなので芥川先生wは大好物なのです。藪の中や蜘蛛の糸のような緻密に構築された短編が本来の持ち味でしょうが、後期の鬱々とした精神風景を描いた作品も大好きです。とにかく頭が切れる繊細な人物で、それゆえに心が破綻したのは芸術家には珍しくありませんね。筋のない小説を読んで何がおもしろいの?って意見もありますが、小説=ストーリーじゃないですよね?(名作の筋だけ読ませるオバカな本もあるみたいですが)詩や絵と同じように、筋書き以外に、「文章を感じる」ことも大事だと思っています。作家固有の筆致、文体がかもしだす絵図を味わうということです。わしにとっては、装丁も紙も含めて本であり文学なので、筋があるなしは余り関係ないのです。もちろんストーリーで引っ張る小説も好きですけどね^^ 梶井基次郎や太宰治も同じ理由で大好きですが、凄みという点で芥川先生wが一番好きです。
萩原朔太郎・・・わしは詩も大好きで特に朔ちゃんファンです^^ 読んでいると感覚というか神経というか細胞というか、書き手の脳髄にそのまま触れるぞくぞくとした感じがあります。「とほい空でぴすとるが鳴る。またぴすとるが鳴る。 ああ私の探偵は玻璃の衣装をきて、 こひびとの窓からしのびこむ」ゾクゾクしませんか?朔ちゃんの場合は、芥川先生とは逆に、詩なのにどこか小説のような味があります。もちろんオチもなにもない、心象風景に違いはないのですが、そこが不思議でおもしろいところです。同じ理由でボードレールも好きなのですがそれはまた今度。
古典名作を読もうぜ!
出版不況といわれて久しい日本ですが、ほんとみんな本を読まなくなりましたねー。ミステリーや時代小説あたりで一部の超人気作家の作品が売れるくらいでしょうか。。。純文学はとても苦しい状況のようです。特に名作とよばれる近世の文学を知らないひとたちが増えたように思います。
かくいうわしも、今のように電脳世界が驚異的に進歩した時代に幼少時代を過ごしていれば本は読んでないかもしれませんが、幸せなことにわしの少年期にはネットだの電脳だのはSFの世界でしたので、読書と音楽が一人でできる限られた娯楽なのでありました。なので和洋問わず、名作と呼ばれる文学はほとんど読破しております。そんなわしが好きな作家について語ってみたいと思うコーナー(w)です。
まずは芥川龍之介・・・師匠です(w 全集を二度買い換えました^^; わしはどちらかというと長編よりも短編小説が好きなので芥川先生wは大好物なのです。藪の中や蜘蛛の糸のような緻密に構築された短編が本来の持ち味でしょうが、後期の鬱々とした精神風景を描いた作品も大好きです。とにかく頭が切れる繊細な人物で、それゆえに心が破綻したのは芸術家には珍しくありませんね。筋のない小説を読んで何がおもしろいの?って意見もありますが、小説=ストーリーじゃないですよね?(名作の筋だけ読ませるオバカな本もあるみたいですが)詩や絵と同じように、筋書き以外に、「文章を感じる」ことも大事だと思っています。作家固有の筆致、文体がかもしだす絵図を味わうということです。わしにとっては、装丁も紙も含めて本であり文学なので、筋があるなしは余り関係ないのです。もちろんストーリーで引っ張る小説も好きですけどね^^ 梶井基次郎や太宰治も同じ理由で大好きですが、凄みという点で芥川先生wが一番好きです。
萩原朔太郎・・・わしは詩も大好きで特に朔ちゃんファンです^^ 読んでいると感覚というか神経というか細胞というか、書き手の脳髄にそのまま触れるぞくぞくとした感じがあります。「とほい空でぴすとるが鳴る。またぴすとるが鳴る。 ああ私の探偵は玻璃の衣装をきて、 こひびとの窓からしのびこむ」ゾクゾクしませんか?朔ちゃんの場合は、芥川先生とは逆に、詩なのにどこか小説のような味があります。もちろんオチもなにもない、心象風景に違いはないのですが、そこが不思議でおもしろいところです。同じ理由でボードレールも好きなのですがそれはまた今度。
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