2011年3月28日月曜日

パーソナルスペース買ってしまったじゃないか

PS Homeは、無料でミニゲームもあってなかなか楽しめます。でもゲーム以外リアルマネーを使う気はしなかったんだけど、

買ってしまったよ。。。

人気のレイクサイド。。。(*゚∀゚)。。。


金魚すくいで金魚手に入れたので水槽も・・・・_| ̄|○ 。。。






ふっ。いいのさ、今日は今日、明日は明日。沈まぬ太陽なんだな、わしは(え、パクリ?w)


2011年3月27日日曜日

不思議オブジェクト・・・


PS homeで「不思議協奏曲」とかいうパズルゲームがなかなかおもしろくて、熱くなって何とかステージ1のアワードを手に入れました。不思議オブジェクトとかいう・・・ こんな感じです^^;

マクロスF~ライオン

何度聞いても良い曲だ。

サヨナラノツバサ、まだ上映中だけど諸処の事情で行けないなあ。。残念。。

2011年3月16日水曜日

不謹慎?自粛?テレビ放送とか。

収まる気配を見せない未曾有の災害に襲われている東日本。西日本にいる自分は普段とほぼ変わらない生活を送り昼間は仕事をして夜はテレビを観たり本を読んだり「普通に」過ごしている。

そんな被災地以外の地域に、自粛ムードが広がっている。被災地では命の危険にさらされ飲み食いもままならぬたひとたちがいて、自衛隊他命懸けで救助にあたるひとたちがいる。直接被害がさほど大きくなくても計画停電によって不自由な生活を余儀なくされている人々も多数いる。そんなときに西日本など被害が及んでいない地域でのコンサートやエンターテイメントなどの興業は不謹慎とされ自粛せよというわけだ。実際に中止された興業は多数にのぼる。

もちろん実質的に被災地の電力供給に協力できるなら、西日本に限らず日本全国で節電し、繁華街の灯りを消してチャリティー以外のいっさいの興業を停止することに異議はない。計画停電をこちらでも行うならそれにも喜んで協力する。だが実際にはこちらで節電しても被災地の支援にはならない。ぼくらができることは現時点では物資の寄付や募金くらいだ。ぼくだって日本列島の地図が変わるほどの壊滅状態、かつて観た仙台の風景とか思い出すと泣けてくるし、憂鬱なので映画やらサッカーを観てても正直あまり楽しくない。心のどこかで、楽しんでいいんだろうか、と思っている自分がいたりする。だけど、理屈でなかなか割り切れないのはわかるが、被災地でない場所にいて電力の供給の手助けもできない人間が感情論で行動を自粛してみたところで何の役にも立たない。

いやむしろ、東日本の経済が危機に陥っているのなら、そのぶん西日本での経済活動を活発にしたほうが日本のためになるし、結果的に被災地復旧支援にもなる。普段よりがんばって働いて普段よりお金を使ったほうが「自粛」しているよりもず実はずっといいのだ。働くということはエンタメを提供する側も含まれる。お笑いや映画、音楽、ドラマ、スポーツ等々、観る側にとってはエンタメだが、提供する側にとっては労働である。当然観る側がいなければ成り立たないわけで、その媒体としてテレビや映画館や劇場が使われる。

つまり、「テレビで漫才やサッカーを観る」、「コンサートにいく」「映画を観る」、こうした行為は常時なら普通のことでも、今は不謹慎と後ろ指をさされかねないわけだが、結果的に日本のためになるんだと思う。それが言い過ぎで傲慢だとしても、少なくとも「不謹慎」ではないはずだ。繰り返すけれども、自粛することで物理的に電力を助力できるなどの効果があればまったく別の話であり、あくまで感情論に留まる場合の話である。

そうしてみたとき、9.11テロや阪神淡路大震災のときと同じ違和感をテレビ局に抱いている。地上波に関する限り、どのチャンネルをひねっても震災の特番をずっと流し続けている。自称公共放送のNHKはもちろんそれが仕事なのだからよい。しかし民放も横並びで似たような放送を垂れ流していることには違和感が強い。しかも内容はといえば、時々はいる新しい情報はあっても、ほとんどの時間は発生からここまでの経緯をまさに「劇場」的に振り返っているだけである。そしておかかえの専門家がぞろぞろ出てきては、憶測で議論する。新しい情報にしても入ってきたものを垂れ流すだけで、必ずしも正確とは限らない。ましてやどんな専門家だろうと、「~という可能性がある」レベルにとどまる話を各局バラバラにばらまかれてはたまったものではないし、何の意味があるのかと問いたい。

そもそもこうした番組は誰を視聴者と想定して放送しているのだろうか?避難所にいたり、最大の問題になっている原発に近いところにいる被災地の中心部のひとたちなのだろうか?それならば、いたずらに悪夢のような記憶を蒸し返す津波発生時の映像その他の過去映像を今流す意味はあるまい。第一停電状態なのだからTVなど映らない。では、そこまで直接的な被害は被っていないがその危険が高い周辺地域にいるひとたちだろうか?やはり新しい情報や準備に関する情報は必要だが、現時点であれこれと検証する必要ない。要するに、各局がだらだらと流している震災報道の大半は、被災地ではない地域にいるひとたちを視聴者として想定しているとしか思えない。つまり、被害が及ばない場所にいる人間に対して、被害を受けて悲惨な状態にある地域の映像を繰り返し観させている。まさに「劇場」である。そういう劇場を作り出すものだから、ネット社会の情報ツールの影響と混ざり合って、真偽がわからない膨大な情報の垂れ流しが発生し被災地のひとたちがよけいに混乱するのである。

はっきりいって、淡々と情報を流す局が一局あればよく、複数のテレビ局が似たり寄ったりの報道を垂れ流すのは被災地にとって迷惑じゃないだろうか、と思うのである。情報公開と検証、避難地情報や物資情報などの伝達に徹した番組を例えばNHKのみに集中してやればいいではないか。その間、民放はどうするかといえば、普通に番組を放送すればよい。

それで先の話に戻るのだが、この緊急事態にドラマやらアニメやらバラエティみたいな普通の番組を放送するのは不謹慎かというと、内容にもよるが基本的に不謹慎ではないとぼくは考える。理由は前述したとおりだ。むしろ多分に主観的な経緯の検証をテレビという視覚的に入る「劇場」的な媒体で発信してむやみに混乱させるよりずっとマシだと思う。もしどうしても、不謹慎で自粛したい、とテレビ局が考えるなら、放送自体と止めてしまえ、と言いたい。さほどの節電にはならないというが、例えば24時に民放はすべてのテレビ放送を止めたら、テレビ局の電力を少しは節電できるだろうし、それよりも観ている側のテレビの電力も必然的に節電できる。そもそもぼくが小さな頃は夜中はテレビ放送などなかったから、みんな早く寝ていた。早く寝ることが節電になることは言うまでもない。そういう実のある自粛なら大いに歓迎だが。

蛇足になるが、以前にも書いたかもしれないが、自分の仕事柄もあって「自主規制」という行為ほど怖いものはないと常々思っている。バイオレンス、エロ、差別用語等々、さまざまな自主規制が日本にも存在するが、カルチャーの世界における自主規制とは自殺行為に等しい。「過剰」なる表現、差別「的な」表現、すべては主観でありどこにも定義されてはいない。なぜなら明確に「過剰」と定義されていれば、自主規制ではなく、法的に規制されるからである。自主規制とは、言論と表現の自由が大前提である民主主義社会の文化において本来自由に発信してよいものを、不明瞭な空気感、あるいは(多くはそうだが)他の対抗勢力による圧力に負けて「自ら」発信しないことを選択することであり、これほど恐ろしいものはない。自主規制に比べれば、権力による言論統制のほうが100倍マシである。右を向けといわれれば全員が右を向きがちな日本民族の「良い意味でも悪い意味でも」均一性がさらに自主規制の怖さに拍車をかける。

そう、自粛という行為もまた、自主規制とほぼ同義の行為である。それだけに自粛しない勇気というものが逆に必要だと思う。

追伸:シンディローパーが東京公演を決行するという。実に結構なことだ。それがどれほど勇気のいることかを考えると、彼女や関係者の強さと優しさを改めて感じざるを得ない。世界で絶賛された日本人の行儀の良さは、裏目に出るとこうした別の意味の勇気をかき消してしまうのである。

2011年3月1日火曜日

四大奇書と三大奇書

こんにちは。

昨晩久しぶりにSLにインしたら、中国四大奇書の話が出ていました。ぼくは活字のかたちで完全に読了しているのは「三国志演義」のみです。正確には、吉川さんの全八巻の文庫「三国志」ですね。これはあまりのおもしろさに一気に読んでしまった覚えがあります。横山光輝さんのマンガも借りて読みました。アニメも見ました。PC98の頃の光栄のゲームもやりこみました(笑)。ただ、ドラマや映画は観てません。少し観るだけで何か安っぽい感じがしてすぐ挫折しちゃいますね。。最近ヒットした「レッドクリフ」も最初の三〇分くらいでやめました^^;豪華なんだけど全然ピンとこない。。関羽も孔明もぼくのなかのイメージとは違うんですよね。その点、横山さんのマンガは違和感がなかったです。

あとの3つはちゃんと読んでません。水滸伝はもちろんあらすじは知っていますが、途中で挫折。西遊記はマンガ、アニメ、映画等あまりに媒体が多くて、そちらのほうが先行してしまい、活字は読んでません。もうひとつはまったく手つかず(笑)。

一方、日本の3大奇書は「ドグラマグラ」だけ「一応」読んでます。あくまで、一応、ですw。乱歩オタクでしたし、安部公房が好きで、不条理ものを好む若造でしたので、こいつは読んでおかんと!という勢いでなんとか・・・(笑)。でもあとの2つは数ページで挫折しましたね。するでしょ、普通^^;

ちなみに三国志演義でぼくが好きな場面は、曹操のところから劉備のところへ関羽が単騎で関所を突破して戻る、彼の「義」を貫く有名なところ、それから超雲が劉備の臣下になるところ、関羽と黄忠の一騎打ちから黄忠が臣下になるところなど五虎将軍にまつわるエピソードです。そして孔明が「ああ、関羽なし張飛なし」と嘆きながらも獅子奮闘する蜀の最後の物語のところですね。泣けました。

アニメでも借りてまたみなおそうかなー。