2010年1月31日日曜日

風邪だから哲学

こんにちは。

1月も終わろうとしていますが、散々な出足でした。。。とにかくずーっと風邪をひいております^^;
あまり風邪を引かない人間なのですが、いったんひくとなかなか治らないというパターンが多く、特段無理をしているわけでもないのに肺炎の手前までいっていたりします。今回はそこまでいきませんが、治りかけてはぶりかえすという悪循環で未だに完治しておりませぬ。
そのせいかどうかわかりませんが、SLも大航海もバーチャルワールドにインする気力がまったく沸いてこない現状。この2週間ほどは、暇がありますとDVD観たり読書したりして過ごしています。

で、表題ですが、このように体力も気力もイマイチで、モチベが下がっているダウナー状態のときは、哲学関係の本を読むのがいいですよ、という話^^; 小説とか詩を読むのはパワーいりますから。その点、哲学の本は淡々と論理的に書かれていますので意外と疲れないのであります。それにそもそも哲学というものは、様々なアプローチがあるものの、「存在」、「ある」、「いる」ということはどういうことなのか?本当にある(いる)のか?という問いかけに対してあれやこれやと考えるものですから、ダウナー状態には適しています。逆にハイなときに読むジャンルじゃありませんね。。また、ネットとかバーチャルワールドとかとリアルを行き来するようになった現代人にとって、「存在」について考えてみることは、ネットがなかった昔とはまた異なる意味があるように思います。

例えばセカンドライフを例にとりますと、ログインしているとき僕Wacky Piekは確かにセカンドライフのワールドの中に存在します。少なくとも僕自身はそう感じています。逆にログインしなければ存在しない、そう感じています。リアルと違って存在と非存在のスイッチがあるわけです。でも本当にログインしていないとき僕は存在しないのか?またその逆は?というと難しいのです。たとえ1週間ログインしていなくても、僕の土地や家やペットはワールドの中に存在しています。存在の手がかりが残っているわけです。また僕がよく行く店の方々や友達の記憶にもWacky Piekは存在しています。必ずしもスイッチでオンオフできるわけじゃないのですね。一方、Wacky Piekの存在は、リアル同様とても曖昧でもあります。僕自身が感知するWackyはひとつなのですが、他者にとってのWackyはひとつではありません。モニターやマシンスペックによって見え方が千差万別だからです。リアルにおいて一本のペンが万人にとってひとつではないことと同じですね。

何を言っているかよくわからなくなってきましたが(笑)、存在について考える=哲学、とした場合、バーチャルワールドにおける存在を考えながら哲学してみると非常におもしろい、そういうことなんです。ネット社会はとても哲学的なんだなと感じたりします。

ちなみにお気に入りの哲学者もいませんし、ちゃんと勉強したわけでもないので、さまざまなアプローチを理解しているかどうか甚だ怪しいです。ただ、下手な小説よむくらいなら、哲学書のほうがおもしろいと僕は思います。食わず嫌いのひとは、有名な木田元さんの著書でも読んでみるとわかりやすいしおもしろいのでおすすめです。ハイデガーが専門ですが、入門書みたいなものをたくさん書かれているので是非一読を^^

あー、風邪はやくなおらんかな。。。。><

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