2009年12月10日木曜日

小説家の書簡

こんにちは。

以前の日記で、ぼくが文学少年で「あった」こと(今は違う?^^)、純文学、SF、ミステリなんでも読みますが、純文学においては明治大正昭和初期の近代文学が好きであることなど書きました。芥川龍之介、夏目漱石、正岡子規、梶井基次郎などについては全集を保有していますが(大好きな三島由紀夫はボリュームありすぎて買えない。。。)、全集の最大の楽しみが付録の書簡です。作品そのものは文庫本で読んだほうが読みやすいし傷みを気にせずにすみますしね。でもほとんどの場合全集にしかプライベートの書簡は全集にしか収録されていません。この文豪と友人(たいていは相手も同じ世界)との書簡が何とも味わい深く、書簡があたかも作品であるかのような気さえしてくるのです。ここが、現代文学の作家ととてもおおざっぱだけれども旧制帝大以前の作家との違いだと個人的に思っています。

というのは、当時の文学者からは、手紙のやりとりでさえ、俳句を添えたり、季節を巧みに描いてみたり、自分の日常を叙情あふれる筆致で語ってみたりと、現代のように用件さえ伝えれば良いというスタンスとはほど遠く、至極丁寧に仕上げており、そこに文学者たちの美意識を大いに感じるからです。ましてやネットの時代になってEメールやメッセンジャー、TV会議が諸連絡の中心となった今では、書簡そのものが消えゆく運命にあるわけで、美的価値観を感じないのも無理はありません。

有名な正岡子規と夏目漱石のやりとりなどは、ひとつの芸術とさえいえるのではないでしょうか。決して安くはない文学全集を保有するひとと、作品を文庫で読めばいいじゃないかという人の違いは、この書簡に興味を示すかどうかにあるとぼくは考えています。

漱石や鴎外など、かつての文豪たちの作品が好きだけど、全集は高くてちょっと・・・という方がいたら、いえいえ、古本屋を探せば十分に安いものがありますので是非!と言いたいですね、今はネットで探して電話で注文できる時代ですので、試してほしいなと思ったりします。

書簡も作品。そんな気がします。

0 件のコメント:

コメントを投稿