2010年7月8日木曜日

だって会社はどうするの?

こんにちは。

ランボーの詩の一節です。ランボーは「地獄の季節」「イルミナシオン」が有名ですが、初期の詩も彼らしい激しくもシニカルな部分が出ていて良いですよ。表題の一節は、自分もはっとしてしまうほど、シニカルです(笑)

ぼくは小説も好きですが詩も大好きです。夜お酒を飲んで映画見たりサッカー見たりしてさて寝ようかな、と思うとき、小説はちと重い。詩を数編読んでからiPodのお気に入りの局で眠るのが最高です。

詩というと食わず嫌いのひとは、物語性がなく愛を語ったり美しいだけの退屈なものと想像しがちですが、全然そんなことはなく、まあそういう詩もありますが、ぼくの好きないわゆる象徴派と呼ばれる詩人たちの詩は、斬新な展開があり、憎悪や野望に満ち、ときに残酷で不気味なくらいグロテスクで、それでいてどこか叙情的です。詩ですからまったくの作り事を書いているわけではないので、物語のように見えてもそれはそのときの詩人の状況や心理状態が反映されているので、最終的に理解するためには詩人そのものを知る必要がありますが、そこまでせずとも雰囲気を味わうだけでも充分楽しいです。

詩は肉体を捨て感覚だけがひとり歩きしている、そういう感じでしょうか。例えば朔太郎の「ばくてりや」や「寝台を求む」を読んだときの背中を這い上がってくるような恐怖に近いけれどもどこか共感する感じ。」ボードレールの「吸血鬼」に宿る闇のパワー。まさに読んでいる人間の神経にじかに触れてくるような凄みです。

正岡子規は死ぬ間際の随意筆「病床六尺」で脊椎カリエスで寝たきりになりモルヒネで激痛を抑えながらも、世相を切なく語り続けました。「病床六尺、これがわが世界である。しかもこの六尺の病床が余には広すぎるのである。」という中でも感覚だけで書き続けたわけです。ランボーは19歳でさっさと普通の仕事についてしまいました。小説と違って詩人とはそういうものです。

ここであくまでぼくの好みですが、好きな詩人とオススメを紹介しておきます。

萩原朔太郎「月に吠える」
ボードレール「巴里の憂鬱」(散文詩ですが「悪の華」よりも読みやすいです)
ランボー「地獄の季節」
E.A.ポー「詩と詩論」(文庫でポーの全ての詩が読めます)
正岡子規「病床六尺」(詩ではなく随筆ですが、必携かと^^;)

(ちなみにポーは詩人としても凄いです。)

どれも文庫で安く手に入りますのでお試しあれ^^

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